シドニーからの旧友

先日、シドニーから旧友が家族を連れ帰国し、東京にわずか2日しかいない中、私の店に立ち寄ってくれました。

 

彼とは20年以上前に、エジプトのカイロで出会いました。

 

たまたま泊まっていた安宿の隣のベットに寝ていたのです。

 

その頃は仕入れをしながらも、ドミトリーと呼ばれる相部屋に何個もベットが並ぶ形式の格安宿に宿泊していました。

懐かしいです。

蚤に悩まされ、痒くて慣れないこともあるなどもありました。

 

写真家を目指していた彼は、一眼レフを首から掛け、90リッターの巨大なザックに70個程のフイルムを詰め込んでいました。

 

デジタルカメラが主流になった今ではフイルムはほとんど見かけなくなってしまいましたね。

 

彼とはエジプトを共に旅をし、ヨルダンで別れました。

シリアでも偶然出会い、残念ながら今では行けなくなったパルミラや十字軍の城の跡クラークドゥシュバリエなどを共に旅しました。

 

途中移動手段がなく、ヒッチハイクなどもし、優しいシリア人のおじいさんにトラクターの車輪の上に乗せてもらったことなどもありました。

 

その後、パキスタンのフンザという山奥で再会します。

インドも共に旅をし、ゴアでは家を借りてしばらく共に住ました。

 

ゴアの星空の下、夢を語り合い

私はオーストラリを自転車で旅するため一挙に飛び、

彼は南米へと飛びました。

 

写真家を目指していた彼は、大学を卒業後、しばらく見習いとして辛抱していたのですが、数年後、整体師の道へと移り、改めて学校に通いました。

 

卒業後、日本で就職し修行をしていました。

よく仕事の後、

「指が痛い」

と溢していたのを今でも覚えています。

 

そんな彼でしたが、ある時オーストラリアで働かないかという誘いを受け、西海岸のパースへと移り住んだのです。

 

パースは私にも青春を過ごした懐かしの地です。

自転車を購入し、練習を積み、エアーズロックへと向かった出発の街でした。

 

そのパースに彼が住むとなり、彼には二度ほどオーストラリアに会いにいきました。

 

二度目の訪問は彼の結婚式でした。

 

そして彼の人生はこの結婚から一気に花開きます。

今までの苦労、努力が道を切り開いたのです。

 

今ではオーストラリアで最も人気の日本人整体師として二つのクリニックを経営し、活躍しています。

 

ナイルやパルミラ、エローラ、善福寺公園など世界中で彼とは赤く焼ける大きな夕日を見ました。

 

あの若さと夢だけあって何もなかった頃の親友が、今では異国の地で大成功し、素敵な家族を持っていることを心から嬉しく思います。

 

なかなか会うことができませんが、いくら時が経っても変わらないその笑顔と友情に力をもらった夜でした。

 


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