西本願寺を訪ねて 1

納品があり、京都を訪れることに。

 

時計を見ると、午後3時半。

検索すると、西本願寺は午後5時で閉門です。

ホテルから西本願寺まで歩くと25分、車ならば10分もかかりません。

京都駅にあるホテルに荷物を預け、タクシーで西本願寺に向かいます。

 

2月に京都に来たときには東本願寺の前の宿にお世話になりました。

窓から見える寺院の巨大な屋根の曲線が美しかったのが印象的でした。

これまで何十回と京都を訪れてきましたが、意外にも西本願寺は10年以上前に一度前を通っただけでした。

その時は閉門時間を過ぎてしまっていた記憶があります。

 

駅側から来て交差点を過ぎたところで、降ろしてもらいます。

開門している門から中に入ります。

 

敷地には観光客は誰もいないようです。

僧侶の方がいらしたので、頭を下げ挨拶をします。

 

御堂に入ると、中には鳳凰などの鳥が浮き彫りにされた屏風の力強さが目と心を奪います。

屏風や天井、祭壇などをゆっくりと見学させていただき、正面に向かって腰を下ろし、正座。

 

目を閉じると、天井から鳥たちのさえずる声が聞こえてきました。

澄んだ鳥たちの鳴き声が御堂の中に優しく広がります。

 

次第に鳴き声は、屏風の鳥たちが奏でているように感じてきます。

そこはまるで極楽浄土の世界であるかのよう・・・

不思議な空間に座し、肩から身体から力が抜け、心から邪念が消えていくようです。

 

あれほど暑かった屋外とは変わって、いつの間にかに汗も引いています。

寺院や教会、モスク等を訪れた際、こうして周囲の暑さと空気が変わることをよく経験します。

 

中央には「見真」と書かれた額が飾れています。

真を見る。心に刺さります。

 

調べてみると、仏語で智慧によって真理を見きわめること。

また、親鸞聖人の諡号が「見真大師」ということでした。

 

感謝の気持ちを心で唱え、賽銭を入れて御堂の外に出ます。

 

お坊さんとすれ違ったので、「素晴らしい一時をありがとうございました。」

伝えました。

 

 

どうやら隣の大きな建物には行けそうもないので、一度、門から外に出ました。

 

塀沿いを北に少し歩き、改めて別の門から中に入ると、入口に西本願寺の案内書が置いてあり、手に取ります。

中を覗くと、どうやら、先ほどの御堂は西本願寺ではないようです。

調べると、こちらは真宗興正派本山興正寺。

浄土真宗の西本願寺と同様、親鸞聖人を開祖とする宗派です。

思いもかけず、良き時を過ごさせていただきました。

 

それでは、改めて西本願寺を見学させていただきます。

入口から入ると、大きな御堂が目の前にそびえています。

御影堂。

圧倒的な大きさです。東西48メートル、南北62メートル、高さ29メートル。

屋根には瓦が整然と並び、はるか上からこちらに向かって伸びる曲線は、仏教建築の美しさを見るものに伝えてくれます。

 

その背景には青空に大きな雲が漂い、雲の裏では太陽が光輪の様に光っています。

 

手水舎で手を清めます。

 

その後、靴を脱ぎ、階段を上がり、扉を開けます。

 

広い空間の中央正面には親鸞聖人の木像が安置されています。

木像ははっきりとは見ることができませんが、下の方は見えます。

 

平日の上、終了の5時が近いということもあり、中には、3,4人の見物客がいるだけです。

外国人の女性が中央で目を瞑り座禅をしています

 

私は多くの宗教、宗派の成り立ちの本を読んだ時期がありました。

中でも最も惹かれたのが親鸞聖人でした。

あくまで私の感想ですが、もっとも人間臭く、庶民に近く生き接し救おうとし、仏法を広めた宗教家だと思います。

時代、時代により、必要とされ生まれてきた様々な宗教があり、どれも否定する必要はないでしょう。

ただ、私には何だか親鸞聖人が遥か昔の人にも拘らず、近くに感じた方でした。

 

私も目を瞑り、座します。

生かされている事に感謝し、大阪の地震で被害にあった人々への平穏を、イエメンやシリア等世界各地で戦争の犠牲になっている子供たちや人々へ平和が訪れることを祈ります。

 

お賽銭を入れ、隣の建物へと移ります。

隣は阿弥陀堂。

こちらも巨大な建築物です。

 


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