ヒッチハイク

令和を迎えました。これから明るい時代が訪れることを心よりお祈りしております。

 

さて、先日、関西に納品があり、久しぶりに車で自宅から7時間程をかけ運転しました。

 

以前は、毎月のように関西に車を運転し、百貨店の催しに参加していましたが、最近はもっぱら新幹線移動となりました。

その頃、中央道から東名、名神へとハイエースのアクセルを踏みっぱなしで、飛ばしていたことが思い出されます。

 

中央道は特にカーブや坂道が多く、また、街灯が少ないため道が暗く、走るのに神経を使っていました。

いつもハンドルを持つ手がいつの間にかに汗で湿っていました。

 

東名や名神はトラックが多く、壁が迫るようで怖かった思い出があります。

 

しかし、現在、圏央道、新東名や新名神が多くの区間開通しました。

 

そのため、以前より、道幅は広くなり、直線道路が増え、遥かに運転しやすくなりました。

 

それにより時間も随分と短縮され、1時間は早くなったと思います。

 

この日朝8時に出た私は納品先のご自宅に15時丁度に到着。

荷物を車から降ろし、玄関に入れようとしたところ、

ポクリと

まさに腰がズレたような感覚があり、その場で動けなくなってしまいました。

 

ぎっくり腰です。

 

20年前にもハイエースの中で重い仏像を持ち上げていたら、そのまま動けなくなってしまったことがありました。

その時は、荷台にいたまま、接骨院に運ばれました。

 

半年前にも熊本でそういえばぎっくり腰になっていました。

 

前屈もほとんど前に曲がらず、ロボットのように体が硬くなっているのは、感じていました。

やはり、普段から体を動かさないといけないと痛感...

 

長距離のドライブで同じ姿勢を取り続けたせいもあったのでしょう。

凝り固まった筋肉が普段と違った姿勢で力を入れたため、ぎっくり腰を起こしたのでしょう。

 

お客様に冷却材を詰めた袋をもらいそれを腰に当てると少し楽になりました。

 

その後、お客様の運転する車で、有馬温泉に向かい、療養したのでした。

 

温泉は効きますね。

 

翌日、何とか復活し、もう一つの納品を終え、東京に向かいます。

 

途中、琵琶湖インターで昼食をとるため、休憩です。

 

車を停め、急ぎトイレに向かう中、ボードを持っている男性が。

きっと中国人観光客への案内のボードでも持っているのだろうと通り過ぎます。

 

車にお財布を忘れたため、戻るときにも、まだそこに先ほどのガイド?がいた気がします。

 

琵琶湖を眺めながらトンカツナポリタンというB級グルメをいただきました。

車に戻る際、まだ、先ほどの男性はそこに立っています。

 

頭上に掲げているボードをみると、そこには

「東京方面」

と書いてあります。

 

ああ、中国人ガイドではなかったんだ、ヒッチハイカーか。

今時珍しい。

荷物もあったので、一瞬迷いましたが、。

車を停め、窓から声を駆けると、喜びドアを開け乗り込んできました。

 

それを見ていたバイクのライダーのおじさん達から

「よかったなぁ」

と声をかけられます。

 

車は晴天の中、東に進み始めます。

 

自己紹介をしてくれる彼、

20歳の青年でした。

 

三人兄弟の真ん中の彼は、管理栄養士の専門学校に通う学生。

浪人はできなかったので、専門学校に行くことにしたそうです。

 

その後、バイトをしながら、学費を払い、一人暮らしをしているとのこと。

その上、二つのボランティアをしています。

 

一つはフィリピン人の子供たちに勉強を教え、夕食を食べさせる子ども食堂。

もう一つ別の場所でもたくさんの子供たちのために、子ども食堂をやっているそうです。

一回、およそ30人くらいが集まるとのこと。

 

子供たちが懐いてくれ、頼りにされていることが本当に嬉しいと言います。

 

区に掛け合い、建物の一室や畑などを無料で借り、畑で野菜も管理し、子供たちに提供しているとのこと。

 

ハンドルを握りながら、目に涙が溜まるのを感じました。

 

今回も、栄養士として将来独立してやっていくための、セミナーに参加するため、東京に向かうとのことでした。

 

約3時間のドライブの中、自分が二十歳の時トルコやイランなどでヒッチハイクをした話など、彼と同じ歳であった時の自分と重ね合わし、いろいろと話しました。

 

私をはじめ若い時は自分の楽しいことで精一杯である人が多い中、人のために無償の奉仕をしている彼に出会え、こちらこそ時間を共有でき、感謝するひと時でした。

 

別れ際、「自分に自信を持って、今あなたがやっていること、生き方、それをきっとわかってくれる人が自然と現れるよ。

頑張ってね。またいつか。」

と声をかけました。

 

好青年。

まさに、そんな青年に会えました。

令和。こんな若者たちがいてくれる限り、日本は良い時代を迎えられる、そう思えました。

 

翌日、寮から帰ってきた娘を迎えに行き、戻る車の中、

娘から友達がお金の使い方が激しいという話が出ました。

 

娘の部屋のゴミ箱を片付けていると、よく、アニメやゲームのキャラクターのカードや小物が入っていた袋や箱が目についていました。

また、飲みかけのペットボトルなどがたくさんあります。

 

自分が子供の頃はそうした小物はなかなか変えず、またよく水道の水をがぶ飲みしていました。

 

友人のお金遣いの話が出たので、この際に娘のお金遣いのことも注意しました。

 

「いったいどこからそのお金は出ているの?」

と尋ねると、

「お年玉だよ。」

と娘。

「お年玉は貯金しておくものだよ。何か欲しい物があった時に貯めたお年玉で買うのはいいし。将来のために取っておくものだよ。」

と私が話すと

「パパの時代とは違うんだよ。最近は付き合いとかあるんだよ。」

「うるさい」

と声を荒げ、機嫌を悪くする娘。

 

「それじゃあ、話を変えよう。」

と、前日にあったヒッチハイクした青年の話を娘にしました。

 

すると、ただ注意するだけでは耳を貸さなかった娘も、心を動かされたようです。

素直に聞き入っていました。>

 

そして、自分の行動を少しずつでも改めること、

社会や環境に感謝する気持ちを持つこと、

そのため、自分の今できることに一生懸命に向かおうとする気持ちになったようでした。

 

好青年との出会い、僕ら家族にも良い時間を与えてくれました。

 

昔旅をしていた時を思い出す出会いでした。

「さよなら、いつか」

「Good Luck」全て旅人の合言葉。

 

たくさんの見知らぬ人たちと出会い、語り合ったあの若かりし頃を彼と出会い、思い出しました。

 

 

 

 

 

 


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