乗馬と共に

次第に湿度が上がり、夏が近づいてきたのを感じられる日々。

いかがお過ごしでしょうか。

 

私は久しぶりの休みを取り、友人家族と乗馬に八ヶ岳まで行ってきました。

 

アメリカやフランス、イギリスなど世界各地で乗馬をしてきましたが、大自然の中、馬と共に走ると、心と体が解放されます。

 

そんな体験を娘や友人家族にも味わってほしいと、自然豊かな八ヶ岳にいってきました。

小淵沢インターからすぐの八ヶ岳ロングラインディングという乗馬クラブにて、お世話になりました。

 

友人家族は初めての体験でしたが、クラブ内で基本的な乗り方を教わり、早速山の中へと外乗をさせてくれ、子供達も興奮と充実の笑顔に溢れる日となり、私も嬉しかったです。

 

 

ちなみに私は11歳の時にアメリカのヨセミテ国立公園にて乗馬を初体験しましたが、その時の苦い思い出があります。

 

家族と共に馬に乗り、集団で細い山道へと向かったのですが、集団の最後尾にいた私の馬は、皆に付いていかず、Uターン。

 

乗っている私など無視するように馬小屋に戻ってしまいました。

 

小学生の私は英語も全く話せず、もちろん、馬の操り方も解らない。

一人ぼっちりになってしまい大きな不安に襲われたのが記憶に残っています。。

 

姉が私がいなくなったのに気付き、

「陽青がいない!!!」

と、両親に大声で伝えてくれました。

 

それで、ガイドが迎えに来てくれ事なきを得ましたが、子供ながらにかっこ悪い思い出です。

 

通常1日4回のツアーが、夏休みのその時期は5回目であったため、子供の私を乗せた馬は休みに帰ってしまったようでした。

馬のストライキといったものでしょうか。

 

今回はそんなストライキにも会わず、無事、皆、1時間余りの乗馬を楽しむことができました。

 

その他、買い物や諏訪大社へのお参りなどもし、充実の一日を過ごし、中央高速に乗り、帰路に着きました。

 

東京が近づいてきたところで40キロほどの渋滞。

のろのろと進んでいましたが、とうとう車が止まってしまいました。

 

私達の横をパトカーがすり抜けていきます。

どうやら、事故が起きてしまったようです。

 

高速の出口を300メートルほど過ぎたところで、完全に渋滞の列が動かくなってしまいました。

 

大きな事故でなければ良いのですが。

 

こうした時は、どうしようもないので、車の中で‟しりとり”をすることに。

 

小さい頃から娘と車で遠出をする際にはいつも‟しりとり”をしてきましたが、高校生になった娘は二人ではもちろんしてくれません。

 

そのため、久しぶりの‟しりとり”です。

 

負けたら、一曲歌う!というルールの下、スタート!

 

友人のお嬢さんは負けたくないけれど、歌を歌いたいというシチュエーション。

 

子供達には縛りはありませんが、私は食べ物のみという自己ルール。

 

ゲームは進み...

 

お母さんが負けた代わりに友人のお嬢さんはアニメ映画の主題歌を熱唱!

娘は学校で歌っている讃美歌を音痴の私に似ず、澄んだ声で唄い。

私は「ドナドナドーナドナー荷馬車は揺れる~」、「故郷」など渋めの曲を音程を無視し歌います。

 

けれど、一曲聞いてみたいと思う友人は、学生時代は新聞部部長であり、頭の中は辞典の様。

負けません。

 

気付くと日も暮れ、次第に周囲は暗くなってきました。

 

この日の夕食は遅くなりそうです。

 

それでも1時間を経過したところで、前方の車は動き出しました。

 

いつまでかかるかわからなかった中、動き出してくれて感謝です。

 

事故にあわれた方が無事であったことを祈りながら、事故現場を通り抜けていきます。

 

その後も‟しりとり”は続き、友人の私に対する「る」攻撃は続きます。

るるるるるるるると、口と頭の中で繰り返しているうちに、降りるべき出口を過ぎてしまい、平謝り。

 

そんな中、「ごめんね、パパ、出口だって教えてるの忘れて」

「すいません、る攻めして!」

 

子供達もお腹空かせている中、誰にも全くとがめられることもなく、

却って運転に気遣いをしてくれる友人たち。

 

この友人は昔シリアで出会った友人であり、長い付き合いがあります。

仕事も一緒にしたこともあり、マラリヤで倒れている時には看病してもらったりと、長らく世話になっています。

 

そんな彼や彼の家族とはいろいろなところに一緒に旅していますが、

こうした大らかで思いやりのある空間。

 

このひと時を娘や友人のお嬢さんに感じてもらえること、

それが乗馬を初めてとする変わった経験をするよりも、

本当に二人の心の成長につながるものだと有難く感じました。

 

親の背中、親の態度、習慣を見ている子供たち、

親が怒ってばかりいたら、子供もいつしか怒りっぽくなるだろうし、

汚い言葉を使っていれば、それも自然と子供の口から出てしまう。

 

温厚な家庭に育てば、子供またそれを普通に受け入れ引き継いでくれるでしょう。

 

成長していく子供を見るとことは、自分の幼き頃の姿と重ね合わすと共に、これまで家庭内で自分がしてきた接し方、姿勢、態度、習慣に対し思い返す機会となります。

 

 

土曜日には、娘の学校の保護者料理に参加してきました。

これは中高の保護者の有志が子供達や先生たちのために約300人分
の料理を作りに参加する活動です。

 

学校で私の顔を見た、娘の一言は「最悪」。

 

それでも帰ってから夕食の時に、

「今日は皆が避けるお皿洗い(巨大な鍋やざる、お皿、まな板など)をひたすらやっていたよ。」

娘は、

「裏方が一番大変だよね。」

「皆に見えないところで、誰かがいつもやってくれている、それに感謝だね。」

私は

「社会でも学校での裏方がいるように、同じように様々な場で誰かが人に見えない所、目立たない所でやってくれているから、社会が成り立っているんだよ。」

そうした話が出て、学校で友人たちの前で私に会った時は不機嫌そうな顔をしながらも、

じつは、うれしく思っていてくれているのを感じました。

 

小さな思い出一つ一つが心の優しさの成長に、愛されることにより人を愛し大切にしていける大人へとつながっていければと思っています。

 

乗馬クラブの世話になったスタッフや温厚な馬たち、友人家族、また、保護者会の人々、学校関係者、多くの人の暖かな心に触れられた週末でした。

 

明日の今頃は飛行機の中、素晴らしきアンティークや人々との出会いを求めて仕入れにいってきます!


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